映画 勝手にしやがれのあらすじと驚愕のラストについて

勝手にしやがれのラストシーン
この記事の所要時間: 751

ヌーベルバーグの記念碑的作品であり、フランソワ・トリュフォーが原案、クロード・シャブロルが監修、ジャン=リュック・ゴダールが監督・脚本を務めた。ゴダールにとっては初の長編映画である。

画面の連続性を無視してショットを繋ぎ合わせるジャンプカットという技法を用いたり、手持ちカメラでの街頭撮影、高感度フィルムの利用、即興演出、隠し撮り、唐突なクローズアップ、様々な作品からの引用など、これまでの映画の既成概念をひっくり返し、映画の文法を壊した、映画史に残る作品となった。

本作でゴダールはヌーベルバーグの旗手となり、アメリカン・ニューシネマなどに多大な影響を与えた。

スポンサードリンク

映画 勝手にしやがれのあらすじネタバレ情報

映画 勝手にしやがれのあらすじネタバレ情報

くわえタバコにフェードラ帽子をかぶってアメリカ映画のギャングスターハンフリー・ボガートに憧れるミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)は、マルセイユで盗んだ車を走らせパリに向かうが白バイにみつかり停止を命じられが咄嗟に車中にある拳銃で警官を射殺してしまう。

パリに着いたミシャエルは、顔見知りの女から金を盗んで街に出た。トルマチョフから約束の金を受け取ろうとするが渡されたのは現金ではなく小切手ですぐに現金がほしいミシェルは、アントニオベルッチに現金化を頼みに向かう。刑事がミシェルの尾行をするがうまくまいたミシェルはパトリシア(ジーン・セバーグ)のアパートへ転がり込む。

パトリシアはヘラルドトリビューン紙の売り子でアメリカ娘の留学生。二人は南フランスの海岸で知り合い他人ではないだが、パトリシアはどこかクールな態度である。ミシェルは、街で盗んだ車をポンコツ屋に持って行くが怪しまれて店の主人を殴って逃げてしまう。

一方パトリシアは、社に戻ると刑事にミシェルの居場所を尋ねられるが何も答えず刑事は居場所が分かれば連絡するよう言い残して立ち去る。ミシェルは金が出来たら外国に行こうという。彼女はうなずく。しかし、翌朝彼女の気持は変った。彼女の一番欲しいものは自由。

新聞を買いにいくと、パトリシアは警察に密告した。旅仕度をしているミシェルに“あと十分で警察が来るわよ”という。が、彼の心にはむなしい自嘲と絶望がひろがっただけ。金を持って来たベリユッティは彼に逃亡をすすめる。ミシェルは“疲れた”という。

背後から射たれたミシェルはよろめきながら道路を歩く。このシーンのジャン=ポール・ベルモンドのふらつきながら逃げる足取りはまるでステップを踏むようで日本映画でよくヤクザが撃たれた時のようなオーバーアクションでないところが印象的でした。

馳けつけたパトリシアに、倒れた彼は、“お前は最低だ”とつぶやいた。

『勝手にしやがれ』は、ジャン・リュック・ゴダールの代表作ともいえる映画でなんといっても邦題がいい!この映画の本質をずばり表現している。ゴダール28歳、撮影がラウール・クタール25歳、ジャン=ポール・ベルモンド26歳、ジーン・セバーグ20歳。アイデアは、あるがお金がないそこであみだしたテクニックの数々。

手持ちカメラを多用したフレーミング、カメラ目線で独白する俳優の演技、唐突なシーンチェンジなど、これまでの映画の既成概念をひっくり返し、映画の文法を壊した、映画史に残る作品となった。ヌーベルバーグ”という言葉を定着させた作品である。

この映画を見たのはもう30年ぐらい前の話でファッションデザイナーを志していた私は何もわからないままファッション雑誌で頻繁に掲載されるヌーベルバーグという言葉のオシャレさに参っていました。ジーン・セバーグのこの映画でのファションやベリーショートのヘアースタイルは流行し、日本ではアラン・ドロンの人気が圧倒的でしたがフランスではジャン=ポール・ベルモンドの方が人気あるというのもこの映画を観て納得です。

ゴダールのル・モンド紙のインタビューで「私は、トリュフォーの主題から出発してアメリカ女とフランス男の話を物語ったわけです。ふたりの仲はうまくいかない。男のほうは死について考えているのに、女のほうは死なんか考えないからだ。私はこのアイデアをもちこまない限り、映画がおもしろくなるわけがないと思った。

青年の方はかなり前から死ぬことばかり考えている。死ぬことを予感している青年。

そういう考え方から、青年が街頭で事故死を目撃するシーンを撮った。同じ理由で、レーニンの言葉、《われわれは賜暇中の死者である》を引用し、モーツアルトが死の直前に書いたクラリネット協奏曲を使っています」このインタビューからも男と女は、ただでさえ分かり合えないのにアメリカ娘とフランス男の恋のため悲劇的な結末は当然かも知れません。

この映画の斬新なところはストーリーとは全く本編とは関係のない日常の恋人の同士のような会話が続くところです。これは従来の映画が表現する「映画のような出会い」、「映画のような恋」、「映画のような別れ」があると思う方が、不自然でわれわれの日常的なコミュニケーションというのは、たいていはゴダールの描いた男女のような形を取っていて誰だって、自分の行為に対する意味など深く考えてはいないし、相手の行為を深く詮索したりはしない。日常とは、そういうものかもしれません。

パトリシア:「何してるの?

ミシェル:「脱がしている

パトリシア:「ダメよ、今は

ミシェル:「まったくアタマにくるぜ

パトリシア:「フォークナー知ってる?

ミシェル:「いや、誰だ? 寝た男か?

パトリシア:「違うわ、バカね。

ミシェル:「なら興味ない。脱げよ。

パトリシア:好きな作家なの。「野生の棕櫚」読んだ?

ミシェル:「読んでない。脱ぎな。

パトリシア:「最後の文章、すてきよ。「傷心と虚無では、私は傷心を選ぶ」どっち選ぶ?

ミシェル:「足の指をみせろ。女は足の指が大切だよ

パトリシア:どっちを選ぶの?

ミシェル:傷心はバカげてる。虚無を選ぶね。よくもないが―傷心は一つの妥協だ。すべてか無かだ。今それがわかった。

スポンサードリンク

このように映画の中で二人はよく会話をしますが会話の中身はスレ違いでまるで相手の話を聞いていません。あと気になったのは、ミシェルは、パトリシアのお尻を触っては殴られてましたね〜これがいい音(笑)他にもベットでミシェルがパトリシアの顎をもって自分の方に向かせる仕草もしびれました。

勝手にしやがれのラストシーン

勝手にしやがれのラストシーン

警察に見つかったミシェルは、仲間から放り投げられたピストルを、うっかり拾ってしまったばっかりに、警察官に撃たれてしまう。こんなつまらない事で刑事に撃たれあっけなく路上で死んでいくミシェル。

全く意味のない死。

ここで注目したいのは、ミシェルは心変わりしたパトリシアの密告のせいで銃弾に倒れることになったにも関わらず表情はおだやかで悲しそうな表情のパトリシアを笑わせようとしひとりごとのようにこう言います。

ミシェル:「本当に最低だ

この言葉はミシェルが裏切ったパトリシアに言っているようにも聞こえますがミシェルに言うならお前は本当に最低だと言う筈でこのセリフは彼の人生全体に対する感情の吐露だったと受け取ることが出来るのではないでしょうか。

この後目を閉じて死ぬ演技をするのがこの時代の映画ではお決まりのシーンになりますがここでも死んでいくミシェルは自身の手で目を閉じて死んでいきます。

パトリシア:彼は何て言ったの?

警官:あなたは本当に最低な女だと。

しかしミシェルの性格を知らない警官はパトリシアにあなたは最低な女だと言ったと勝手に解釈して伝えます。

その言葉を聞いたパトリシアは、

パトリシア:最低って何のこと?

私が最低な女ってどういうことそんなこと彼が言うはずない。ほんとうに最低って言ったならそれは違う意味でよ。そしてミシェルのトレードマークの唇をこする仕草をするパトリシアやがてカメラ目線で観客と一瞬向き合い背を向けて観客に物語の終わりを告げます。

まとめ

映画 勝手にしやがれのあらすじネタバレ情報

公開当時は映画に革命を起こしたヌーベルバーグとして賞賛されましたが改めて観るとこの映画の魅力は、主役を演じたジャン・ポール・ベルモンドという役者の魅力によるところが大きいと思います。演技がどうこういう前に、最高にカッコいい。見かけはただのチンピラ。

いつも帽子をアミダに被り、シャツの第二ボタンまでだらしなく外し、分厚い唇には、くわえ煙草を絶やさず火をつけたマッチも吸殻も、あたりかまわず投げ捨てる。今ならかなり困った奴ですがこの映画の妙なさわやかさはジャン=ポール・ベルモンドの憎めない可愛さがあればこそかもしれません。

いいね!」を押すと映画最新情報から最新情報が届きます!



スポンサードリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る